川越祭り囃子保存会

菊元会

設立 1962年(昭和37年)6月    流派 葛西囃子
川越まつりでは、元町二丁目「山王の山車」に添乗

結成の経緯

元町二丁目(旧高澤町)の「山王の山車」には、嘉永年間(1848年~53年)から新宿の囃子連が乗り込んでいたが、農家経済の変化と地域開発による都市化の波によって、囃子の後継者が次第に減少して維持が困難になり、1959年(昭和34年)の現天皇の御成婚記念のまつりを最後に山車への添乗が困難となった。
1962年(昭和37年)、市制施行40周年記念のまつりを催すにあたって、町内の人々が相計り、山車があるからには自分たちで囃子をして、まつりを伝承するべきであるとの意見でまとまり、新たに囃子を導入することになった。
囃子の導入にあたって、新宿の囃子を継承するか、江戸の天下祭を伝承するまつりとして、囃子もその源流である葛西囃子を習うかなど議論された。結局当時、町会長をしていた井上彦次郎氏の知人の紹介により、六塚神社例大祭に、東京都無形文化財の指定を受ける、東京葛西囃子睦会の囃子を町内の人々に鑑賞してもらい、その睦会の推挙により、東京都江戸川区一之江の岩楯孝次郎の指導を頂くことになった。岩楯氏は葛西囃子の後継者であつた。また、菊岡家孝平と呼んで江戸寿獅子の四代目家元でもある。
1962年(昭和37年)6月、会の設立と練習をするにあたって、睦会のお世話によって、東京都台東区浅草北清島町、南部屋五朗右衛門商店より、大太鼓1、小太鼓2、鉦1を購入した。その価格は3万5千円と記録されている。そして、町名の「元」と岩楯氏の屋号の「菊」をいただき、正式に「菊元会」が結成された。初代会長には小川福次郎氏が就任して育成に力を入れ、市制施行40周年のまつりから山車に添乗し、川越まつりの歴史上初めて、山車持ち町内自身の囃子連が囃子をすることが出来たのである。
その後、菊元会は町内の厚い支援よって活動を続けた。また、他の山車持ち町内でも自前の囃子連が結成され、それらの囃子連によって「川越祭囃子同好会(現川越祭囃子保存会)」が結成され、一段と活動が活発になった。
1971年(昭和46年)には、新しい太鼓一式と踊り衣装、面を購入するため、町内の人々に寄付を募り、122名の方々から27万9千円が集まった記録がある。これを境に菊元会は、運営面、資金面からも町内から独立している。